きりしまノート

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旅先で聞いた話・歴史の断片・宇宙や図形のこと。おもいつくままに。

夜空に物差しをあてた人々——バビロニア天文学と「ジグザグ関数」の発明【ノイゲバウアーを読む④】
バビロニアの天文学者が夜ごと記録した星表(エフェメリス)。望遠鏡も、図形モデルもない。あるのは60進法の数字がびっしり並んだ列だけ——その数字の列が、月の満ち欠けも日食も、みごとに言い当てた(イメージ)
科学史2026-06-05

夜空に物差しをあてた人々——バビロニア天文学と「ジグザグ関数」の発明【ノイゲバウアーを読む④】

前回③のエジプトは、正直に言うとちょっと地味でした。パンを分け、土地を測り、ピラミッドの傾きを出す——実用ひとすじで、2000年間ほとんど発展しなかった。ノイゲバウアーの評価も辛口でしたね。

今日のバビロニアは、まったく別の世界です。

📝 NOTE

月が、いつ満ちるか。 いつ、日食が起きるか。 惑星が、いつ、どこに見えるか。

これらを——図も、望遠鏡もなしに、ただ「数字の表」だけで予測してみせた。これが、ノイゲバウアー『古代の精密科学』が本全体でいちばん力を込めて語る、バビロニア数理天文学の世界です。お抹茶を、ゆっくり一服。

まず、時代の整理から

ひとつ、最初にはっきりさせておきます。②で見た60進法や楔形文字は、4000年前のものでした。でも、今日話す**「月や惑星を予測する精密な天文学」は、もっとずっと後**——**紀元前300年ごろからの300年間(セレウコス時代)**に花開いたものです。

紀元前700年ごろ
   → バビロニアの神官たちが、毎晩の空を記録しはじめる
     (何百年ぶんもの「観測日誌」がたまっていく)
   ↓
紀元前300年〜紀元0年(セレウコス時代)
   → たまった観測データから「予測の数表」を作り上げる
     = 数理天文学の完成

ポイントは、「何百年も毎晩、根気よく記録し続けた」こと。その気の遠くなるデータの山から、規則を見つけ出した。これが、思いつきで終わったエジプトとの、決定的な違いの源です。

なぜ、そこまで必死に空を見たのか

バビロニア人が夜空に執着した理由は、2つあります。

理由中身
暦(こよみ)のため月の満ち欠けで月を数えた。新月がいつかを、前もって知る必要があった
占いのため「天体の動き=神々のメッセージ」と信じた。王の運命を読むために観測した

特に大きいのは占いのほうです。バビロニアでは、**「日食が起きると王に災いがある」**などと真剣に信じられていました。だから神官たちは、災いに備えるために、天体の動きを前もって計算したかった

📝 NOTE

「占いたい」という、いわば不純な動機が、 人類最初の精密な科学を生んだ。

——これ、コーヒータイム⑤の汎バビロニア主義や、霧島さんと話してきた「学問は、些細な・意外な動機から始まる」のパターンと、またしても同じなんですね。

円が360度なのも、バビロニアのせい

本題の前に、もうひとつ。私たちが今も使う**「円1周=360度」**。これもバビロニア生まれです。

バビロニアの1年 ≒ 360日(と少し)
   ↓
太陽は1年かけて、星空をぐるっと1周するように見える
   ↓
だったら「1周を360に分ける」と、1日に約1度ずつ進む計算
   ↓
円1周 = 360度 が定着

そして、太陽の通り道(黄道〈こうどう〉)を30度ずつ12個に区切った。これが——おひつじ座、おうし座…でおなじみの「12星座(黄道12宮)」の発明です。星占いのルーツは、ここにあります。

バビロニア由来の「いま」元になったもの
1時間 = 60分(②でやった)60進法
円 = 360度1年≒360日
12星座黄道を30度×12に分割

あなたの星座も、4000年前のバビロニアの神官がつくった区切りなんです。

いちばんの難問——太陽の速さは、一定じゃない

さて、ここからが核心です。

バビロニア人は、長年の記録から、やっかいな事実に気づきました。

📝 NOTE

太陽が星空を進む速さは、一年じゅう一定ではない。 速くなったり、遅くなったりする。

(じつは、これは地球の公転軌道がわずかに楕円だからなのですが、当然バビロニア人はそんなことは知りません。ただ**「観測したら、そうなっていた」**んです。)

速さが一定なら話は簡単です。「1日1度ずつ」で済む。でも実際はムラがある。だから、未来の太陽の位置を当てるには、この「速さのムラ」をなんとか表現しないといけない

ここで、人類史に残る大発明が登場します。

ジグザグ関数——速さのムラを、折れ線一本で

バビロニアの天文学者は、こう考えました。

📝 NOTE

「速さは、毎月、一定の量ずつ増えていって、てっぺんまで行ったら、 今度は一定の量ずつ減っていく。そしてまた増える。これの繰り返しだ」

これを図にすると——きれいなジグザグの折れ線になります。

速さ
 大 ┤      /\          /\
    │     /  \        /  \
    │    /    \      /    \
 小 ┤   /      \    /      \
    └────────────────────────→ 月
       増える 減る 増える 減る …

増える→てっぺん→減る→そこ→また増える。この山と谷を、まっすぐな線だけでつないだ。これが**ジグザグ関数(線形ジグザグ関数)**です。

身近なたとえで言うと——**1年の「昼の長さ」**を思い浮かべてください。

夏に向かって、昼はどんどん長くなる(増える)
   ↓
夏至でてっぺん
   ↓
冬に向かって、どんどん短くなる(減る)
   ↓
冬至でそこ(谷)
   ↓
また長くなる…

これ、毎年くりかえす、ゆるやかな波ですよね。バビロニア人は、こういう**「増えては減る、をくりかえす動き」を、まっすぐな線の上り下りだけで近似する**方法を見つけたんです。

📝 NOTE

本物の動きは、なめらかな曲線。 でもバビロニア人は、それを「直線の上り下り」で十分に言い当てた。

曲線の計算は難しい。でも直線なら、足し算引き算だけでいい。②でやった「バビロニアは分数も整数も同じルールで計算できた」便利さが、ここで全開になります。毎月、決まった数を足したり引いたりするだけで、来年の太陽の位置まで計算できてしまう。

数字の表が、すべてを語る——エフェメリス

実際のバビロニアの天文テキストは、数字がびっしり並んだ列の集まりです。これを**エフェメリス(天体位置表)**といいます。

列1:月(こよみの月)
列2:その月の、太陽の速さ      ← ジグザグ関数で計算
列3:太陽の位置(足し算で出す)
列4:月の位置
列5:満ち欠けのタイミング
…

驚くのはここです。この表のどこにも、図や絵はありません。円も、軌道の絵も、何もない。ただ60進法の数字の列があるだけ。なのに、その数字をたどっていくと、来月の新月の日も、次の日食も、ぴたりと出てくる

ノイゲバウアーは、ここに最大級の賛辞を贈ります。

📝 NOTE

「バビロニアの数理天文学は、純粋に算術的な方法だけで、 天体の運動を完全に記述しきった、人類最初の体系である。」

ギリシアとの、決定的なちがい

ここで⑤への大事な伏線を張っておきます。のちのギリシア人(プトレマイオスたち)は、同じ問題をまったく別のやり方で解きました。

バビロニアギリシア
道具数字の表(算術)図形のモデル(幾何学)
太陽の動きジグザグ関数で「数値」を出す円を組み合わせて「形」で説明
問い「次は、どの数字になる?」「なぜ、そう動く?」
強み予測が速くて正確仕組みが目で見てわかる

バビロニアは**「当てる」ことに徹した**。理屈や絵は要らない、数字さえ合えばいい、と。一方ギリシアは**「なぜそうなるかを、図で説明したい」**と考えた。

📝 NOTE

バビロニア:とにかく正確に予測する「数表の天文学」。 ギリシア:仕組みを図で語る「幾何学の天文学」。

どちらが上、という話ではありません。でも面白いのは——精度では、長らくバビロニアのほうが勝っていたこと。ギリシアの大天文学者ヒッパルコスもプトレマイオスも、バビロニアが積み上げた観測データと数値を、ありがたく拝借して自分たちの理論を組んだんです。その話は、次回⑤でたっぷり。

まとめ——お抹茶4杯目、いちばん濃い一杯

No.第4章のまとめ
1精密な数理天文学は、紀元前300年ごろのセレウコス時代に完成した
2土台は、何百年ぶんもの根気づよい毎晩の観測記録
3動機は「暦づくり」と「占い」——意外に不純
4円360度も12星座も、バビロニア生まれ
5最大の難問は「太陽の速さが一定でない」こと
6それをジグザグ関数(直線の上り下り)で見事に近似した
7図を一切使わず、数字の表(エフェメリス)だけで予測した
8ギリシアは図形で、バビロニアは数字で——道は分かれた

③のエジプトと比べてみてください。エジプトは目の前のパンを分けた。バビロニアは未来の夜空を計算した。同じ「古代の数学」でも、到達した高さが、まるでちがう

📝 NOTE

エジプト人は、今日のパンを正しく分けた。 バビロニア人は、来年の月の満ち欠けを言い当てた。

そして何より——**「むずかしい曲線を、やさしい直線で乗りこなす」**というジグザグ関数の発想は、今のコンピュータが、なめらかな計算をこまかい直線の集まりで処理しているのと、まったく同じ知恵なんです。4000年の時を超えて、私たちはまだ、バビロニアの神官と同じ手を使っている。すごいことだと思いませんか。


次回のノイゲバウアーを読む: ヘレニズムの頂点——プトレマイオスは、バビロニアから何を受け取ったのか。数字のバビロニアと、図形のギリシアが、ついに出会います。古代天文学の最高峰『アルマゲスト』へ、いよいよ登っていきましょう。

📚 シリーズ:ノイゲバウアーを読む

  1. 1なぜ、いま、70年前の本を読むのか——ノイゲバウアー『古代の精密科学』を読む【序章】
  2. 2あなたの腕時計の中の4000年——バビロニア60進法と、ゼロの誕生【ノイゲバウアーを読む②】
  3. 3なぜエジプト人は 2/5 を 1/3+1/15 と書いたのか——リンド・パピルスと単位分数の世界【ノイゲバウアーを読む③】
  4. 4夜空に物差しをあてた人々——バビロニア天文学と「ジグザグ関数」の発明【ノイゲバウアーを読む④】