きりしまノート

きりしまノート

旅先で聞いた話・歴史の断片・宇宙や図形のこと。おもいつくままに。

あなたの腕時計の中の4000年——バビロニア60進法と、ゼロの誕生【ノイゲバウアーを読む②】
古代バビロニアの粘土板にくさび形に刻まれた数の記号。たった2種類の押印(縦楔と山形)の組み合わせから、二次方程式も、月の運行も、円周率も計算できた——ここに、現代の腕時計の60という数字の起源がある(イメージ)
科学史2026-05-24

あなたの腕時計の中の4000年——バビロニア60進法と、ゼロの誕生【ノイゲバウアーを読む②】

序章で予告したとおり、**ノイゲバウアー『古代の精密科学』第1章「数」**に入ります。

いきなり手元の腕時計を見てください。

📝 NOTE

1時間 = 60分 1分 = 60秒

なぜ、100でも、10でもなく、60なのでしょう?

答えは——4000年前のメソポタミアの粘土板にあります。バビロニア人が銀の重さを量るのに使った単位の比率が、楔形文字(くさびがたもじ)で刻まれた数学体系を経て、ギリシア・インド・イスラム・ヨーロッパと2000年以上のリレーで伝わり、いまあなたの手首の上にちゃんと残っている

今日はそのリレーを、最初の走者から見ていきます。お抹茶を、ゆっくり一服。

ノイゲバウアーは、なぜか中世フランスの絵から書き始める

ベリー公の時禱書・9月の図(上部の天文半円)

ベリー公の時禱書(Les Très Riches Heures du duc de Berry)9月の図——上部の半円に、インド・アラビア数字・ローマ数字・アルファベット数字など4種類の記数法が同居している。ランブール兄弟ら作、1412〜1416年ごろ。パブリックドメイン。

第1章の冒頭は、おどろくほど意表をついた書き出しです。ベリー侯ジャン・ド・フランスの『時禱書(じとうしょ)』——15世紀のフランス王族の祈禱書の話から始まる。

1416年、ベリー侯が死去
   ↓
彼の依頼で制作されていた『時禱書』が未完のまま残された
   ↓
12か月それぞれを描いた美しい細密画があり、
9月の絵にはぶどう摘みの作業が描かれる
   ↓
その絵の上部半円に、不思議な記号と数字が並んでいる

ノイゲバウアーが注目するのは、この絵の上の半円です。そこには——

  • インド・アラビア数字(1, 2, 3 …)
  • ローマ数字(XV など)
  • ラテン語の数詞(september = 7番目の月)
  • アルファベットを使った数の記号(a, b, c …)

4種類の数の表現法が、同じ絵の上に同居している。15世紀のヨーロッパ人は、これらを自然に使い分けていたんです。

📝 NOTE

「いったい、なぜ人類は、こんなに多種多様な数の書き方を発明してきたのか?」

——これが第1章の入り口です。現代から見ると当たり前の「位取り法」(123 = 1×100 + 2×10 + 3)が、人類の長い歴史のなかでは、むしろ特殊な発明だった。それを掘り当てに、ノイゲバウアーは4000年前まで遡っていきます。

数の書き方、5つの型

ノイゲバウアーは、第1章で5種類の記数法を整理します。

特徴
数詞september, October言葉そのまま。世界中で見られる
頭韻書法Π=5, Δ=10ギリシア刻文。語の頭文字を使う
ローマ数字I, V, X, L, C, M同じ記号を繰り返し、足したり引いたり
アルファベット数字α=1, β=2, γ=3ギリシア・ヘブライ。文字の順番に値を割り振る
位取り法123 = 1×100+2×10+3位置で値が決まる。少数の記号で無限の数

位取り法だけが、根本的に違うんです。

ローマ数字で「3000」を書こうとすると MMM——記号を3つ並べる必要がある。アルファベット数字で「888」を書こうとすると——特殊な記号を3つ持ち出す必要がある

でも位取り法では、たった10個の記号(0〜9)で、どんな大きな数でも書ける。これは想像を絶する利便性です。

ノイゲバウアーは、こう書きます。

📝 NOTE

「この位取り法の発明は、疑いなく人類の最も実り豊かな発明である。」 「概念を直接に表現して伝達することを意図した何千もの象形文字とは対照的な、 アルファベットの発明に匹敵するものであるといえる。」

位取り法の発明=アルファベットの発明と同じくらいすごい——ノイゲバウアーがここまで言い切るのは、めずらしいです。

では、誰が、いつ、それを発明したのか?

答えは——4000年前のバビロニア人です。

紀元前1800年〜1600年(古代バビロニア時代)
   ↓
すでに位取り法を使っていた粘土板が、何千枚も出土している
   ↓
紀元前300年〜紀元0年(セレウコス時代)
   ↓
さらに洗練され、天文学計算に使われる

エジプト人もインド人もギリシア人も、まだ位取り法を発明していなかった時代に、メソポタミアの書記たちは、すでに使いこなしていた。これが、ノイゲバウアーが粘土板から実証した、人類の知的歴史のいちばん古い層です。

なぜ60なのか——銀の重さから始まった

ただ、私たちが使う位取り法は 10進法(1, 10, 100, 1000…)。バビロニアの位取り法は 60進法(1, 60, 3600, 216000…)。

なぜ60?

ノイゲバウアーの答えは、意外なほど散文的です。

バビロニアの経済では、銀を計量する重量単位が
最も大切だった
   ↓
主要単位『マナ』と、その下の単位『シケル』の比が
1マナ = 60シケル
   ↓
60という比が、商人と書記の日常感覚に定着
   ↓
やがて、数学一般にこの比が応用される
   ↓
60進法の位取り体系が誕生
📝 NOTE

「60進法は必然的に重要な数体系となり、それとともに 大きな記号や小さな記号を使用しているうちに位取り表記が起った」

60は、銀1単位の60分の1にちょうど都合がよかった——それだけの理由で、人類は4000年間それを使い続けてきたことになります。霧島さんが⑤の汎バビロニア主義回で「学問の流行は些細なきっかけで始まる」と読まれたあれと、たぶん同じ構造です。

ゼロが生まれた瞬間

そして、もうひとつの大発明——ゼロ

位取り法には、「ここには何もない」を示す記号がどうしても要ります。たとえば「201」と書くとき、十の位が「空っぽ」だと言える記号がないと、「21」と区別できない。

バビロニア人は、最初これに苦労していました。古代バビロニア時代にはゼロ記号がなかったんです。「1, 0, 20」(=3620)も「1, 20」(=80)も、ぱっと見では区別がつきにくい。

しかし——

紀元前4世紀ごろ(セレウコス時代)
   ↓
バビロニアの天文学者たちが、
空の位を示す記号を発明
   ↓
これが、人類最古のゼロ

ノイゲバウアーは、こう書いています。

📝 NOTE

「セレウコス時代の天文学テクストには、1, ., 20 や 1, ., ., 20 のような 数の多くの例がみられる。これらはたとえば現在の 201 とか 2001 と 全く同じ原理を使っているのだ。」

つまり、「ゼロはインドで発明された」と言われるけど、その種は2000年前のバビロニアの天文学者の机にすでに芽吹いていた。インドはそれを発展させ、小数点以下にもゼロを使い、現在の十進法を完成させた——という流れだったんですね。

バビロニア式の、もうひとつの強み——分数も整数も同じルール

エジプトの数学者は、分数で大変苦労していました。単位分数という、いまから見ると奇妙な制約があったんです。

📝 NOTE

エジプト:2/5 = 1/3 + 1/15(必ず分子1の分数の足し算に分解する)

たとえば「12 × 12」を計算するとき、エジプト書記は2段階で進みます。

1.  まず10倍する(記号を1つ高い位に移す=120)
2.  次に2倍する(24)
3.  足し算:120 + 24 = 144

これだけなら問題ない。でも、もし12に 15\tfrac{1}{5} を掛けようとすると、特別な単位分数の掛け算表が必要になります。15\tfrac{1}{5} の10倍は2、15\tfrac{1}{5} の2倍は 3 15\overline{3}\ \overline{15}(実際 25=13+115\tfrac{2}{5} = \tfrac{1}{3} + \tfrac{1}{15})。答えは 2+13+1152 + \tfrac{1}{3} + \tfrac{1}{15}

実際に書記が書いた計算表は、こんな縦組みでした(バー付き数字 5\overline{5}1/5 を表します)。

15/102/23 152 3 15\begin{array}{c|cc} & 1 & \overline{5} \\ / & 10 & 2 \\ / & 2 & \overline{3}\ \overline{15} \\ \hline & \text{計} & 2\ \overline{3}\ \overline{15} \end{array}

左の / マークがある行(10と2)の右側を足すと答え。10 + 2 = 12 だから、12倍の答えは 2+3 15=2+13+1152 + \overline{3}\ \overline{15} = 2 + \tfrac{1}{3} + \tfrac{1}{15} になる、という仕組みです。

ところがバビロニアの書記は——1/5 を、60進法で「0;12」と書くんです(=12/60)。あとは整数と同じ手順で計算すればいい。分数のための特別な技は要らない

計算エジプト式バビロニア式
整数 × 整数倍々で足し算(複雑だが可)掛け算表でぱっと答え
整数 × 分数単位分数の掛け算表が別途必要整数とまったく同じルール
答えの形単位分数の和(複雑)60進法の小数(シンプル)

これは、現代の私たちが「1.5 × 1.5」を整数の掛け算とほぼ同じ手順でできるのと、原理的に同じ便利さです。バビロニア人は、4000年前にこの便利さを手にしていた

霧島さんの問い——同じ「12 × 1/5」を、両方で計算してみる

📝 NOTE

霧島:ほな、さっきの 12 × 1/5 を、バビロニア式でやるとどうなるん?

やってみましょう。バビロニア式では、15\tfrac{1}{5}0;12(=12/60)と書きます。あとは整数の掛け算と完全に同じ手順です。

12 × 0;12

12 = 10 + 2 に分解
   ↓
① 10 × 0;12 = 2;00   (10 × 12/60 = 120/60 = 2)
② 2  × 0;12 = 0;24   (2 × 12/60 = 24/60)
   ↓
① + ② = 2;24

ここで途中の 120/60 は、60を超えたぶんを上の位に繰り上げて 2;00 になります。10進法で「0.10」じゃなくて「1.00」と書くのと、まったく同じ動きですね。

そして、エジプト式の答えと並べてみてください。

方式答え
エジプト式2+13+1152 + \tfrac{1}{3} + \tfrac{1}{15}
バビロニア式2;242;24

同じ値です。なぜなら——

13+115=2060+460=2460\tfrac{1}{3} + \tfrac{1}{15} = \tfrac{20}{60} + \tfrac{4}{60} = \tfrac{24}{60}

つまり 2+2460=2;242 + \tfrac{24}{60} = 2;24ぴったり一致します。

エジプト人は「1/3 と 1/15 を別々に管理して足す」という頭の使い方、バビロニア人は「整数の掛け算と同じく、桁を分けて足すだけ」。同じ答えにたどり着くのに、頭の体操の量が全然違う——これが、ノイゲバウアーが「位取り法は人類最大の発明」と言い切る理由なんです。

メトン周期——19年で月と太陽が一致する

第1章の途中で、ノイゲバウアーはメトン周期の話に<ruby><rt></rt></ruby>れます。これも面白いので少しだけ。

1太陰月(新月から次の新月まで)= 約29.5日
12太陰月 = 354日 = 1太陽年(365日)より11日短い
   ↓
3年で33日のズレ → 1ヶ月加える必要
   ↓
もっと精密にやると、
19太陽年 = 235太陰月(=12×12 + 13×7)
   ↓
これがぴったり合う!

これを発見したのは、紀元前432年ごろアテネのメトンという人——とギリシア人は記録しています。でも実は、バビロニア人はすでに同時代に同じ周期を使っていた。むしろメトンがバビロニアから学んだ可能性が高い、というのがノイゲバウアーの示唆です。

この19年周期、いまもユダヤ教の暦・キリスト教のイースターの日付計算で現役で使われているんですよ。4000年前のバビロニアの計算が、今年の復活祭の日付を決めている——これも、コーヒータイム的「ぞくぞく」する話です。

アル・カーシー、1429年——円周率を小数16桁まで

第1章の最後に、ノイゲバウアーはひとつの驚異の数を紹介します。

サマルカンドの天文学者ジャムシード・アル・カーシー(1429年没)が、円周の比 を、60進法で次のように計算しました。

2π=6;16,59,28,1,34,51,46,15,502\pi = 6;16,59,28,1,34,51,46,15,50

これは10進法に直すと——

2π=6.28318530717958652\pi = 6.2831853071795865\ldots

小数16桁まで正確です。1429年に、です。

円周率2πの精度
紀元前3世紀(アルキメデス)約3桁
紀元150年(プトレマイオス)約4桁
5世紀(中国・祖沖之)約7桁
1429年(アル・カーシー)約17桁
1706年(イギリス・マチン)約100桁
現代コンピュータ数十兆桁

ほぼ同時期の1722年、日本でも建部賢弘(たけべかたひろ)が独自の級数法で円周率を41桁まで計算している。マチンとは無関係に、ほぼ同水準に達していた——知のリレーは、西だけで走っていたわけではない

アル・カーシーは、バビロニア由来の60進法を完璧に使いこなして、ヨーロッパよりも300年先んじてここまで計算していた。バビロニアからイスラムへ、知のリレーがどれほど豊かだったかを示す、第1章のクライマックスです。

まとめ——コーヒータイムより一服深い、抹茶の重み

No.第1章のまとめ
1人類は5種類以上の記数法を発明してきた
2位取り法だけが根本的に違う——「アルファベットの発明に匹敵」
3位取り法は4000年前のバビロニアで誕生
460進法の起源は、銀の重さの単位「マナ=60シケル」
5ゼロも、紀元前4世紀のバビロニアで芽生えていた
6バビロニア式は分数も整数も同じルールで扱える
7バビロニアの19年周期は、いまもキリスト教暦で生きている
81429年のアル・カーシーは、60進法でπを小数16桁まで計算した

私たちは「古代人=素朴」「現代人=高度」と思いがちです。でも、ノイゲバウアー第1章を読むと、その図式が音を立てて崩れます

📝 NOTE

4000年前のバビロニア人は、 私たちの腕時計の中に、いまも生きている。

腕時計の60が、自分の手首の上にあることを、もう一度、確かめてみてください。それは、ぶどう摘みのベリー侯の絵から、楔形文字の粘土板までを、一本の糸でつないだ証拠なんです。


次回のノイゲバウアーを読む: エジプトの不思議な分数——なぜ古代エジプト人は 2/5 を 1/3 + 1/15 と書いたのか。今回ちらっと触れた「単位分数」の世界に、本格的に潜ります。ピラミッドを建てた人々の頭の中をのぞきに行きましょう。

📚 シリーズ:ノイゲバウアーを読む

  1. 1なぜ、いま、70年前の本を読むのか——ノイゲバウアー『古代の精密科学』を読む【序章】
  2. 2あなたの腕時計の中の4000年——バビロニア60進法と、ゼロの誕生【ノイゲバウアーを読む②】
  3. 3なぜエジプト人は 2/5 を 1/3+1/15 と書いたのか——リンド・パピルスと単位分数の世界【ノイゲバウアーを読む③】
  4. 4夜空に物差しをあてた人々——バビロニア天文学と「ジグザグ関数」の発明【ノイゲバウアーを読む④】