
なぜエジプト人は 2/5 を 1/3+1/15 と書いたのか——リンド・パピルスと単位分数の世界【ノイゲバウアーを読む③】
前回②では、バビロニアの60進法を見ました。腕時計の60の起源は4000年前のメソポタミアにあった——というあの話です。
その途中で、エジプトの分数をちらっとだけ見せました。
📝 NOTEエジプト:2/5 = 1/3 + 1/15(必ず分子1の分数の足し算に分解する)
「なんで、こんな面倒なことを?」と思われた方も多いと思います。普通に「2/5」と書けばいいじゃないか、と。
今日は、そこに正面から深入りします。3500年前のパピルスを開いて、ピラミッドを建てた人々が、なぜこの妙な書き方を続けたのかを見ていきます。お抹茶を、ゆっくり一服。
リンド・パピルス——3500年前の数学問題集
ノイゲバウアー『古代の精密科学』第4章は、エジプト数学の話です。最初に出てくるのが、これ。
リンド数学パピルス
(Rhind Mathematical Papyrus)
紀元前1650年ごろ、書記アーメス(Ahmes)が
さらに古い200年前(紀元前1850年ごろ)の写本をもとに
ヒエラティック文字で書き写した、長さ5メートル余りの巻物
1858年、エジプトでこれを買ったスコットランド人アレクサンダー・ヘンリー・リンドの名前から「リンド・パピルス」。いま大英博物館にあります。

リンド数学パピルスの一部。ヒエラティック文字(神官文字)で、計算や図がびっしりと書き込まれている。赤と黒のインクを使い分けているのも見てとれる。パブリックドメイン。
中身は——85問の数学問題集。実用問題(パンの分配、土地の面積、ピラミッドの傾斜)と、その解き方が、ひたすら書かれている。
問題6:9個のパンを10人で平等に分けよ。
各人の取り分は?
↓
答え:2/3 + 1/5 + 1/30 (= 0.9 = 9/10)
——これが、エジプト式の答えの形なんです。「9/10」とは書かない。必ず単位分数(分子が1の分数)の足し算に分解する。
単位分数——分子は、必ず1
エジプト人が使ったのは、こういう分数だけです。
| 種類 | 例 |
|---|---|
| 単位分数 | , , , , , ... |
| 例外(2つだけ) | , (特別な記号あり) |
それ以外の分数——たとえば や ——は、必ず単位分数の和に分解しなければならない。
📝 NOTEエジプトの鉄則:分数とは、分子1の分数の足し算である。
これがエジプト数学のいちばん奇妙で、いちばん不便で、いちばん長く続いた特徴です。紀元前2000年から紀元後の時代まで、2000年以上も変わらなかった。
なぜ単位分数なのか?——「分け前」の発想
ノイゲバウアーは、この習慣の起源を、実用的な理由に求めます。
📝 NOTE「エジプトの分数は、抽象的な数の概念ではなく、 『1つの全体をいくつに分けた、そのひとつ分』 という具体的な分け前の発想から生まれた」
つまり、こういうことなんです。**「9個のパンを10人で分ける」**を、エジプト式にやってみましょう。
① まず全員に ずつ配る。 配った量と、余りはこうなります。
② 余った 個を、もう一度10人で分ける。 「÷10」は「」と同じなので——
ひとり ずつ。これを単位分数に直すと 。
③ ひとりの取り分は、①と②を合わせて——
ポイントは②です。「大きく配って、余りをまた配る」を繰り返すと、その1回ごとの取り分が、自然に単位分数になる。実際にパンを切り分ける手順が、そのまま答えの形()になっているんです。「9/10」という抽象的な数ではなく、「分け方の手順」を書いている——これがエジプト式の本質です。
霧島さんなら、こう聞かれそうですね。
📝 NOTE霧島:いやいや、9/10 のままでええやんか。なんで毎回バラバラに分ける?
カナタの答えはこうです。**「分子が1じゃないものは、分けたあとの『取り分』として意味がわからなかった」**から。
「3/7 のパン」と言われても、エジプト人の感覚では**「3個の何か」であって、「ひとつの取り分」ではない**。だから必ず「ひとり分はいくつ」の形に直す——これが彼らの数学の出発点なんですね。
リンド・パピルスの心臓部——2/n 表
リンド・パピルスのいちばん最初に、こんなものが書かれています。
2/3 = 1/2 + 1/6
2/5 = 1/3 + 1/15
2/7 = 1/4 + 1/28
2/9 = 1/6 + 1/18
2/11 = 1/6 + 1/66
2/13 = 1/8 + 1/52 + 1/104
…
2/101 = 1/101 + 1/202 + 1/303 + 1/606
これが**「2/n表」。奇数 n について、 を単位分数の和に分解する早見表**です。n=5 から n=101 まで、全部書いてある。
なぜ奇数だけ?
偶数なら簡単:2/6 = 1/3、2/8 = 1/4 …
↓
奇数だと、ひと工夫いる:2/5 = ?
↓
そこで、奇数だけ覚えておく早見表が必要になる
ちなみに「2/n」だけあれば、ほとんどの計算ができる理由は——エジプトの掛け算が、徹底して「倍々」だったからです。
エジプトの掛け算は、ぜんぶ「倍々」
エジプト人は、整数の掛け算をこうやりました。
例:13 × 12 を計算する
13を「2の累乗の和」に分解:13 = 1 + 4 + 8
1 × 12 = 12 ✓
2 × 12 = 24
4 × 12 = 48 ✓
8 × 12 = 96 ✓
↓
12 + 48 + 96 = 156
倍々にして、必要なやつだけ足す。掛け算の九九は使わない。倍にする操作と、足し算だけで、すべての掛け算が完結する。
これは現代のコンピュータの2進法(バイナリ計算)と、原理的にまったく同じです。3500年前のエジプト書記が、コンピュータと同じ計算原理を使っていた——と言うと驚かれるかもしれませんが、本当です。
そして——分数も「2倍」を使いたい。だから「2/n表」が必要になるんです。
12 × 1/5 を計算したい
1 × 1/5 = 1/5
2 × 1/5 = 2/5 ← ここで「2/5」を単位分数に直す必要がある!
2/n表を見て、2/5 = 1/3 + 1/15
4 × 1/5 = 2 × (1/3 + 1/15) = ? ← また2倍する
…
——お分かりですよね。分数の2倍を何度もするので、「2/奇数」の分解表が手元に絶対に必要だった。これが「2/n表」の正体です。
なぜ「2/5 = 1/3 + 1/15」なのか?
ここで素朴な疑問。 を単位分数の和に分解する方法は、ひとつだけではないんです。
たとえば——
これでも合っています。でもエジプト人は同じ単位分数を重ねるのを禁じたんです。 は不可。「1/5 の取り分が、2回ある」のは、もう「1/5 の取り分」ではないからです。
3つ以上の分解なら、別解もあります。たとえば——
これも正しい(通分して確かめると )。でも項が3つもあって、めんどうですよね。書記の立場で言えば、項が少ないほど嬉しい。
エジプト書記は、こうした分解の中から——
| 基準 | 説明 |
|---|---|
| 同じ単位分数を重ねない | 「取り分」が複数あったらヘン |
| 項数はなるべく少なく | 計算が楽 |
| 各分母はなるべく小さく | やはり計算が楽 |
これらの条件を満たす「いちばん使いやすい分解」を、伝統として選んできたのだと考えられています。
📝 NOTE「2/5 = 1/3 + 1/15」は、3500年前の書記が選んだ 『計算しやすさの正解』
これが、リンド・パピルスの 2/n 表の正体です。
ノイゲバウアーの推理——どうやって見つけたのか
では、書記はどうやって「2/5 = 1/3 + 1/15」にたどり着いたのか。ノイゲバウアーは、こう推理しています。
📝 NOTE「初めに(たとえば 1/2 で)失敗すれば、今度は自然分数 1/3 を使ってみる」
自然分数とは、1/2、1/3、1/4 … といった「いかにも素直な分数」のこと。これを大きい方から順に試すんです。
2/5 を作りたい(=1/5 を2倍したい)
【1/2 で試す】
1/5 の半分 = 1/10
残り:2/5 − 1/10 = 3/10
→ 3/10 は単位分数じゃない(分子が3)→ 失敗
【1/3 で試す】
1/5 の 1/3 = 1/15
残り:2/5 − 1/15 = 1/3
→ 1/3 は単位分数!→ 成功
だから 2/5 = 1/3 + 1/15。「ダメなら次の自然分数」と順に試して、残りがきれいな単位分数になったら勝ち——これがノイゲバウアーの考えた、書記の頭の中です。
ピラミッドの傾斜——セケド
リンド・パピルスには、こんな問題もあります。
📝 NOTE問題56:ピラミッドの高さが250キュビト、底面の一辺が360キュビトのとき、 セケド(seked)はいくつか?
セケドとは、ひとことで言うと**「斜面の傾き(勾配)」を表す数字です。斜面の長さそのものではありません。いまで言う坂の角度**にあたります。
イメージしやすいのは、**階段やスロープの「ゆるさ・きつさ」**です。
📝 NOTE高さが1キュビト上がるあいだに、横へ何パーム出っぱるか。
横に大きく出っぱれば「ゆるい坂」、あまり出っぱらなければ「急な坂」。この「横への出っぱり量」が、エジプトのセケドなんです。
セケド = (底辺の半分) × 7 ÷ 高さ
= 180 × 7 ÷ 250
= 1260 ÷ 250
= 5 + 1/25 パーム (← ここでも単位分数!)
※ ×7 は、1キュビト = 7パーム(手のひら幅)への単位換算
つまり「高さ1キュビト(=7パーム)上がるごとに、横へ 5 と 1/25 パーム進む坂」。角度に直すとおよそ54度——けっこう急な、堂々としたピラミッドの傾きです。エジプト人は、ピラミッドの斜面の角度を、単位分数を使ったこの「セケド」で指定して設計していた。ギザの大ピラミッドも、こうやって傾きを決めて積み上げられた——と考えると、不思議な感慨がありますね。
ノイゲバウアーの厳しい評価
さて、ここでノイゲバウアーの意外な評価を聞いてください。
📝 NOTE「エジプトの数学は、その全期間を通じて、 本質的に初等的なレベルにとどまった。」
——え?ピラミッドを建てたのに?
ノイゲバウアーは、こう続けます。
バビロニア数学:
紀元前1800年 → 二次方程式・三次方程式が解ける
紀元前300年 → 線形ジグザグ関数で天体運動を予測
エジプト数学:
紀元前1850年 → 単位分数と倍々計算
紀元前300年 → 単位分数と倍々計算
(2000年間、ほとんど発展しなかった)
ノイゲバウアーの厳しい目から見ると、エジプト数学は「実用的だが、停滞した」。バビロニアが代数や天文計算へと進化していったのに対し、エジプトは最後まで「パンの分配」のレベルにとどまった、というわけです。
📝 NOTE「ピラミッドの偉大さは、彼らの数学の高度さではなく、 彼らの実用的な工夫と労働組織の偉大さである。」
これは——ちょっと耳の痛い話でもあります。「古代エジプト=高度な文明」というイメージが、ノイゲバウアーの一次資料の前では、少し違う姿に見えてくるんですね。
まとめ——お抹茶3杯目
| No. | 第4章のまとめ |
|---|---|
| 1 | エジプト数学の主資料はリンド・パピルス(紀元前1650年) |
| 2 | 分数は必ず単位分数(分子1)の和に分解する |
| 3 | 例外は 2/3 と 3/4 だけ。特別な記号を持つ |
| 4 | リンド・パピルスの冒頭に「2/n 早見表」があり、計算の心臓部 |
| 5 | 掛け算は倍々法——現代のコンピュータと同じ原理 |
| 6 | 分解は「自然分数を大きい順に試す」方法で見つけた |
| 7 | ピラミッドの傾斜「セケド」も単位分数で表記 |
| 8 | ノイゲバウアーの評価:2000年間ほぼ発展せず |
エジプトの分数は、**「実際にパンを切り分ける手順」**を、そのまま記号にしたものでした。だから直感的で、現場で迷わない。でも、抽象化が進まなかった——ここがバビロニアとの決定的な違いだったんです。
📝 NOTEエジプト人:手順を、丁寧に記録した。 バビロニア人:規則を、抽象化して、操作した。
この差が、2000年かけて、バビロニアからギリシア・イスラム数学への爆発的発展を生み、エジプトはその流れの脇に取り残されていく——というのが、ノイゲバウアー第4章の、ちょっと切ない結論なんです。
次回のノイゲバウアーを読む: 4000年前の月と惑星——バビロニアの天文学が、なぜそんなに精密だったのか。いよいよ本書の中心テーマである古代天文学に入ります。エジプトとの差が、ここで決定的に開きます。
📚 シリーズ:ノイゲバウアーを読む
- 1なぜ、いま、70年前の本を読むのか——ノイゲバウアー『古代の精密科学』を読む【序章】
- 2あなたの腕時計の中の4000年——バビロニア60進法と、ゼロの誕生【ノイゲバウアーを読む②】
- 3なぜエジプト人は 2/5 を 1/3+1/15 と書いたのか——リンド・パピルスと単位分数の世界【ノイゲバウアーを読む③】
- 4夜空に物差しをあてた人々——バビロニア天文学と「ジグザグ関数」の発明【ノイゲバウアーを読む④】